15 自 由

◆宇宙の絶対神は絶対の自由の持ち主であり、自由の本体であり、自由そのものです。神様と人とは本来一体であり、人には完全な自由が与えられているのです。自由の自覚がない、あるいは少ないということ は、神様との一体の自覚がない、あるいは少ないという結果に過ぎないのです。感謝を積み重ねて、人の心が神様の御心に一致していけばい くほど自由は大きくなっていくのです。

◆宇宙絶対神の分霊分身である人間も、自由を本質として持っている のです。だから人間は自由を縛られることを極端に嫌うのです。ところが最初から何の縛りもない状態では、本当の自由を発揮する場がなくて本心の自分は喜べないので、わざわざ縛りの多い状態の中で、種々様々な束縛を克服しようとするのです。そして大きな自由を発揮できた時に、無上の喜びと生きがいを感じることができるのです。真実の自由 には、常に適当な限定が付きまとうのです。全体の調和とみんなの幸せを守るために、愛の心で、自らの自由に限定を加えるのは、本心の真実の自由の発揮です。

◆神様が一人一人を自由にしているのです。どういう生き方をしても自由です。ただ幸せは、神様の中に戻るしかないのです。神様と一体化すれば神様の心が自分の心になり、神様の愛と自分の心が一つになります。神様は、人に完全な自由を与えて、全てに平等なものを与えています。運命と して現れるこの姿というのは演技の姿・番組の姿です。それをどのように見て受け止めるかは自由なのです。番組の中の姿を、これ が自分なんだと掴んでしまうと、 自由を失ってしまいます。本心の心を自分ととらえて、神様の世界にいておやつを食べながらテレビを見るように、この世を眺めるのがいいのです。

魂や肉体を自分ととらえると、番組がうまく切り変わらないのです。執着しないでただ眺めるだけが良いのです。


◆したらいけないことは何もないのです。前向きに感謝することが大事で、少しぐらい羽目を外してもいいのです。大いに楽しんで自由自在でいいのです。根本さえ外さなかったらいいのです。無限の幸せ一杯!と 受けた時は、片足を地獄に突っ込んでも痛みを感じないぐらいです。今の自分がどのような立場に置かれていても、みな自分が二者択一で選 んできたのです。それを何億回と無限に繰り返してきて、それで今の自分がここに存在しているのです。だからもう一回自分が選び直せば良いわけです。感謝を選べば自然とプラスに向いてしまいます。

◆一切の縛りから自由になることが、悟り・解脱なのです。何かに縛られているというのは、心が奴隷状態になっているのです。自分を縛っているのは一体何でしょうか?自分を縛っているのは自分自身なのです。本心の自分は、本来自由自在なのですが、本心の自分を忘れるところから、種々様々な縛りが夢幻のように現れてくるのです。形に縛られていると見えるこの世も、本来自由自在な自分が、愛の心を表現するために、自分の自由意志で形の自由に限定を加えた姿なのです。決して心の自由は縛られていないのです。求める心は、他人の自由を縛ろうとする業想念の心です。自由自在な本心の心は、決して他人の自由を縛ろうとはしないものです。業想念の心で他を縛ろうとする時に、それが自分に返ってきて自分自身を縛ることになるのです。すべての縛りは、自分自身の思いの縛りなのです。